去る5月15日は沖縄県の本土復帰40周年でした。
関連する記事や特集があちらこちらのメディアで組まれていましたが、意見も多様であり問題の難しさが如実に表れています。
多くの記事では本土と沖縄の意識の違いと、データでの沖縄の基地の現状と経済分析などが行なわれていました。
国防という論点はあまりなく、ほぼ感情と経済と土地の占有、人権、メディアと政治の問題という扱いです。
しかし、沖縄の問題は根本的には国防の問題です。
なぜなら、国防のために基地があるからです。支配のためでも差別のためでも経済のためでもありません。
国防上の重要性がまず議論されて、そこに値付けが行なわれ負担の分配が行なわれるべきです。
人は誰しも知らない分野については口を閉ざします。知っている分野から切りつけて一撃離脱の立場を無意識に取ってしまいます。
そうすることで問題をすり替え、根本から目をそらしてしまいがちなのです。
日米安保条約による、周辺諸国に対する国防上の意味は否定できないほど大きいものです。
特に昨今、東アジアの情勢が不安定な状況を考えれば、グアムに駐在した際に余計にかかる1時間程度の時間があれば、何が起こってもおかしくない状態です。
有事発生からの対応時間が国防のカギを握ると言っても過言ではありません。
国民も政治家も不勉強(教育で教えないので当然といえば当然)なので、誰もそこに突っ込んで議論はしません。
しかし、米国での議論は、基本的に国防上の意味を問う議論です。
本土での議論は、沖縄がかわいそうだという感傷と経済問題を傘にした責任回避が中心です。
沖縄での議論は、政治批判と被害者感情が中心です。
テーブルが違うので、議論しても「継続しての対話が必要」ということになります。
自分のテーブルで議論をしたいというそれぞれの思惑があるので、時間をかけて自分のテーブルに引っ張り合っているのです。
おなかが空いているけど、お店を選ぶのに必死でご飯が食べられない、そんな様相です。
まずは国民的に国防についての教育と議論を行ない、その意味と価値を知ることが大切だと思います。
右翼とか左翼とか決めつけて排斥している場合ではありません。知らなければならないことは知るべきです。
それから、沖縄の基地の意味と価値、そして不平等について話し合うべきではないでしょうか。
確かに米軍が駐留していたことによって、本土復帰後の経済発展や社会インフラの整備は他県に比べて遅れていましたが、その問題は本質的には経済政策や開発計画の問題であって、根本的な国防の問題とは別の問題なのです。
沖縄出身の私ですら、こういった特集が組まれるたびに、足踏みしている議論に辟易してくるのです。
聖書で、一つになれないイスラエル民族は、せっかくモーセがエジプトから解放しても目的地のカナンには行けず、40年間荒野でさまよいました。
一つになるためには、同じものを見ないといけませんし、見るべきものをみなければなりません。
「エリートは、他の人びとより優れた資質や社会的立場を占めているから尊敬されるのではない。
その資質や地位を活用して、それらをもっていない人びとを守るから敬意を払われるのである。」
(塩野七生。作家)




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